Life Switching
Project

サイズ : 可変
材料 : コンピューター、カスタムプログラム、アンプ、スピーカー、
タッチセンサー、ケーブル、アクリルボード、カッティングシート
発表 : 2005, バーンハイム森林研究所 [ ルイビル、アメリカ ]
所蔵: バーンハイム財団

Life Switching
Project

サイズ : 可変
材料 : コンピューター、カスタムプログラム、アンプ、スピーカー、タッチセンサー、ケーブル、アクリルボード、カッティングシート
発表 : 2005, バーンハイム森林研究所 [ ルイビル、アメリカ ]
所蔵: バーンハイム財団

概要:

アメリカ・ケンタッキー州のバーンハイム自然植物園/森林研究所から招聘による滞在制作の成果作品。作者はこれまで人間と他者や、自然/動物との「共存」をテーマとした制作活動を行ってきたが、この期間は特に植物と人間との関係性に強く関心をもっていた。このプロジェクトは植物が我々に与えてくれる「恵み」に対して、我々の肉体をその死後、植物へ「返す」ことを提案する。
この返還の作業はこのコンセプトに賛同したひとの肉体を一本の樹の近くへそのまま埋葬することで行われる。一般的な樹木葬や土葬と違い、その肉体は焼かれたり、棺桶に納められない。そして誰かがこの樹に触れた時、樹の幹のタッチセンサーを通してその行為がスキャンされる。同時にコンピューター上のプログラムがその回数をカウントし、その番号をあらかじめ録音した故人の声をもとに生成した音声が読み上げる。
この展示においては本プロジェクトのコンセプトを伝えるため、作者がその死後にバーンハイム植物公園内の一本のカエデの樹の元に埋葬されるという仮想的な状況を設定している。だれかの生命がスイッチしたこの樹に触れるものは、そこで紡がれた時間を故人の声によって伝えられる。そして人間と植物が積み上げる交流の記録が自動的にそこで行われてゆく。

Background

植物と人間の関係を考えるとき、その関係はフェアなものではないように思える。人間は植物が作りだす酸素や養分がなければ生きてゆくことができない。しかし植物は本来自分たち自身のためにその酸素や養分を作っている。太陽光と二酸化炭素を取り込み、そこから酸素と養分を生成するー 光合成としてよく知られるこのシステムを約二十億年前に自らつくりだした植物は、朝、太陽がのぼるとすぐにこの仕事を始める。そして植物も動物と同様に夜の間は酸素を吸って二酸化炭素を吐きだす。植物も動物も生きるために必要なものは同じであるが、それを作り出すのは植物で、人間を含む動物は一方的にそれを植物から奪って生きている。
植物は自分のために作った酸素や養分を動物たちに奪われても文句のひとつも言おうとはしない。それどころか、時に植物は、他の生き物の生存のために貢献的であったりする。

樹の寿命は短いものは数百年、長いものは七千年以上も生きるものもいる。それだけ長い間生きるにもかかわらず、かれらは毎年せっせと多くの実をつけては地面に落とす。しかしその多くは生長することはなく、他の動物に食べられたり、腐って微生物の食料になる。それは他の生物たちが生きてゆくための環境を豊かにするために、植物が土壌に対して寄付を行っているようにも見える。
われわれ人間は他の生き物を食べなければ生きてゆけない。しかし人間と植物の理想的な関係を考えるならば、われわれは植物が行っている「与える」という行為に対して、なにか「返す」行為をするべきでないか。人間がそういったことをできたとき初めて人間と植物はフェアーな共存関係を築けるのではないだろうか。

Concept

野生動物が死んだとき、その肉体は他の動物や微生物の働きにより大地に返る。もし人間もまた他の動物に習い、同じように自然に返るとしたら、それは植物が生活する土壌を豊かにすることへの貢献になるのではないだろうか。この「ライフ・スイッチイング・プロジェクト」は人間が彼らの肉体を樹の養分として使うために、自らかれらに与えることを提案するものである。それは臓器提供の行為と似ているかもしれない。プロジェクトへの参加者は、その死後に火葬されたり棺桶に入れられることなく樹の根元に埋められ、肉体の養分を樹に与えることとなる。そこで、もしこの行為を行ったとき、その人の生命は人間の肉体から樹という生命の一部へと移りかわったとは言えないだろうか。

樹々の一生は人間の寿命よりも遥かに長い。そのため森に流れる時間感覚は人間の感覚よりもずっとゆっくりとしたものであり、森は時間をかけて少しずつ変化する。こういった世界に人間がこのプロジェクトを通して加われるとしたら、目先のものに固執することもなくなり、自然環境を破壊してまで必要以上の物を求めなくても満足できるようになるかもしれない。また、「新たな生を得る」ことによって人間は死の恐れを克服できるかもしれない。さらに、このような人間が一体となった木を切ることを他の人は好まないと思われ、もしこの習慣が広まれば森は増えてゆき、人間と植物のバランスは良好なものとなるかもしれない。

Method

この「だれかが移りかわった樹」がどこかにあったとしたら、その家族や友人たちはその人に会うためにその樹を訪れるであろう。そして恐らく、その樹に話しかけたり触れてみたりする。人間は自分の好きな相手に対して「触れる」という行為をしぜんにおこなう。母親が子供を抱いてあげるように、恋人が相手の手を取るように。「触れる」という行動は好意や愛情を表すひとつの表現といえる。だれかが故人を思ってその人が移りかわった樹を訪れるとしたら、しぜんとその樹に触れるのではないだろうか。故人を思う気持ちを伴った「触れる」行為は樹にとっても愛情を与えることになるだろう。そこで植物に対して行われる行為は、自分たちが必要な酸素や養分や環境のために自然保護を唱えたり、花や草木が与えてくれる心地よさを自分たちが楽しむ目的でもなく、植物がわれわれにしているような何も見返りを求めない無償の「与える」行為と成りうるように思われる。
この作品では「触れる」という行為をスキャンするために樹の幹にタッチセンサーが付けられた。圧力を感知したセンサーはコンピューターへ信号を送り、カスタムプログラムがその回数をカウンティングして、あらかじめ録音された故人の声のサンプルをもとに生成したナンバーをスピーカーから発音する。このシステムを持つ樹は、その「触れる」行為を蓄積してゆく。この「触れる」行為の『量』こそが人間と植物の積み上げた交流の記録であり、この『量』こそがお金や物よりも人間が貯めるべき価値のあるものではないだろうか。


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